遠世の風儀

「(大原三千院の庭の石地蔵)の横顔は、天平盛時の佛の雄渾で緊張した風貌である。・・最も古い石地蔵の一つだ。さういふ無名石工が彫った石佛は、定朝運慶といった名人の作のイミテーションをつくらうなどとは少しも考へなかつた。・・寸法書から大きくはなれたり、思ひがけぬ方へはづれたりした彫りものも、それが自我表現の意識でつくられたものでないだけに、その奇妙さは、本質的な民族の造形を考へさせるものだつた。人類の造形のすべて、原始民族の信仰の見た形の一切すべてが、わが石の佛や木の面の中に現れてゐるやうな氣がした。・・院政時代から、漸時、誰でもが自分の見た神佛を、彫り出した。我々の遠世の風儀では見るといふことは拝むことと殆ど一つだつた。・・偶像といふ思想や、儀軌をいふ観念ではとても理解できない。・・約束ごとでなく、自分が見たものからうまれた形といふことである。偶像崇拝といふ思想は、・・わが國造形史の上では、根も葉もないものだ・・。くらしやその祭祀信仰生活の悠久な伝統と、現在なほあるその生命を、わが身体に・・。最高藝術は、文藝も美術もみな自然のものである。」保田與重郎

雨音に遠神(とほかみ)聞くや蛙(かはづ)の子